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咸臨丸の歴史

龍馬クルーズから一週間になります。

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今更ですが、咸臨丸についてちょと。

咸臨丸の咸臨は、中国の易経に出てくる言葉で
上に立つ者、下にいる者、君臣が心で感じ合い、一致協力して事に臨んでいくこと。
それぞれが悦(よろこ)んで応じ合い、正しい道を行き、志を行う。そのゆえに吉なり。
という意味だそうです。

全庁9メートル、幅9メートル 100馬力で3本マストを持つの九蔵蒸気船です。
当時としては大きかったのでしょうが、大型の豪華客船にくらべると小さくて
よくあんな船でアメリカまで行けたものです。

咸臨丸といえば勝海舟ですが、この船には福沢諭吉やジョン万次郎も乗っていて
暴風雨に難航し、ひどい船酔いに悩まされ、指揮をとったのはジョンマンだったと
説明を聞きました。さすがは船乗りですね。

そして、1868年、戊辰戦争が起こり榎本武揚の指揮下東北へ向かう途中
銚子沖で嵐に会い、榎本艦隊とはぐれ伊豆の下田港に漂着。
そこで官軍と交戦になり多くの方が戦死しました。
その屍は数日海上に漂っていて、見かねたあの清水次郎長が
「死んだ後海上に漂っているのに顧みないのは人として忍びない」
とタンカを切り、きちんと埋葬したという逸話が残っているそうです。

1871年、明治政府に接収され、開拓使を乗せ北海道に向かいますが
9月、函館に寄港したのち津軽海峡で嵐にあい、
乗組員は全員救助されたものの咸臨丸は沈没したそうです。

こんな数奇な運命を辿ったのですね。知らなかった。

1984年(つい最近ですね?)キサラ沖で咸臨丸の錆びた錨が見つかったそうです。
現在キサラ岬(北海道 木古内)は公園になっているようです。
乗船時にもらったパンフレット並びに咸臨丸とはを参考にしました。

私たちが乗ったクルーズ船にも資料館があるそうですが、そこを見学する時間はありませんでした。
咸臨丸の船内の様子

桂浜の写真ですが、あそこに小さく龍馬像が写っています。
像の高さは5.3m,台座を含めた総高は13.5mあります。

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桂浜で見上げると首がすくむ(疲れる)ほどの大きさですが
緑の中に緑青色の龍馬像が溶け込んで、あのあたりかなとは思っても
よく見えませんでした(笑)
中央の木の下あたりです。
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